今のところ、思ったより楽しめてないな…という感想。所詮は思い出補正なのか

10年以上前とはいえ、このゲームをかなりやり倒してしまっていて、ストーリーも全て知っている…というのが大きいかも知れない

本当に14年ぐらい前の話かもしれない。AC新作よりも長い期間かかってる

ストーリーが既知というのが本当に大きいと思う。ジョン・マーストンは過去に何があったのか?なぜ悪漢たちと対決しようとするのか?という謎に惹きつけられるということがない。そしてそれが無ければ…ストーリーラインは冗長に過ぎる。「どうしてなんだろう?」と不思議に思う気持ち、「どうなるんだろう?」という好奇心があったからこそ、遠回りが多くてもメインストリームを追うに耐えうるのだと思う

人生で一度しか楽しめないゲームということかもしれない。そういう観点でみると、リメイクを先延ばし先延ばしにしたのは合理的な判断とも言える

当時としてはオープンワールドなのに主人公に強烈なストーリーがあるというのが革新的…チャレンジであった

オープンワールドというのはゲームの自由度「なんでもできる」という部分がフィーチャーされるジャンルである。わかりやすいところで言うと、善人としても振る舞えるし、悪人としても振る舞える。完全にプレイヤーの自由となる。しかしそれは、善人にも悪人にもなれる人物をプレイヤーキャラクターとして置く、ニュートラルな存在が主人公になる、そしてそれは次第に、オープンワールドというジャンルの構造的な限界を表すことになる。つまり、さっきまで善人プレイをしていたのに、プレイヤーの発作的な気まぐれで突然悪人プレイをするような存在にストーリーや、まして破綻のない人格を持たせることは不可能なのである。オープンワールドはストーリーが弱い。ストーリーテリングを盛り込めない。ナラティヴを持たせることができない。という限界に当時は突き当たっていたと思う。これまでの傾向としては「まあオープンワールドの強みはそこじゃないよね」ということでオープンワールドとしての自由度や内容に注力しており、ストーリーは薄味にするか、矛盾させてても気にしない。無視をする。という手法を採っていたように思う

が、RDRはそれに反して主人公…誰にでもなれる誰でもない人。ではなく、ジョン・マーストンという個性を持たせた。かなりのロアを背負わせて送り出してくる…ただしそれは「謎」として出発する

ここがRDRの妙だと思っていて、ジョン・マーストンがどういう人物であるか「謎」であり、曖昧な状態でゲームが出発するので「悪人かも知れないし、善人かも知れない。だからどちらの行動をとっても不自然ではない」という状態をストーリーテリングや人物の設定で上手く作り出している

とはいえ…導線はかなり善人に傾いており、ゲームの進行やシステムもそれを後押ししてくる。結果としてはオープンワールドとしての原点で強みである「自由度」はかなり減じてしまっている。プレイヤーは善人プレイを半ば強制されており、悪人として振る舞いたいときはストーリー…ゲームに反抗しながらヴィランプレイをしなければならないという負荷がかかる

極端に言えば、例えば荒野の用心棒のラモンのようにプレイはできない。無法者の勢力に就き、荒野の砦に拠点を構え、悪漢共をまとめ上げて銀行や街、農場を襲撃する…というプレイはシステム的にも用意されていない。プレイヤーはあくまでイーストウッド的である

なので、あえて悪人プレイをするのであれば「ギャングの生き方が抜けてない。逃れられないジョン・マーストン」になってしまいがち。とういうところだろうか。ストーリーラインが一本なので難しいだろうが…分岐の形で「結局道を踏み外すマーストン」みたいなものがあれば完成度はより高まったのではないかと思う

「正義漢として振る舞いつつ、裏では悪いことをしている」だとストーリーで話していることは「嘘」になってしまいかねない。エモーショナルな内容なだけに、そう処理せざるを得ないのはキツイ

「オープンワールド史」を底まで舐めれるほど造詣が深いわけではないので、雰囲気で喋ってるところがある。叩けばいくらでもホコリ…矛盾が出てくるような気がする

が、現在のオープンワールド形式の流行なども鑑みるに、オープンワールドだけどストーリーを強くしても良い。キャラクター個性を出してもいい。という草分け的な存在となったのではないだろうか

ブームとなったBotWよりも前の作品である。さすがにオープンワールド元祖本家RockStarと言うべきだろうか

ゲームの内容やチュートリアルは流石に10年以上前のゲームだなという感触が否めない。突然「〇〇をやれ!」と言われて「え?今の何?どうすればよかったの?」というシーンも多い

RDR2もやったはずなんだけどなんか内容あんま思い出せないな…